15

シシリは朝目覚めると下の方のベッドを確認した。日差しが入り込んでいる部屋の中で小さくなっていたイオは既に活動を開始していたようだった。彼ら以外のイノケやフェンケースはいまだに眠っていた。シシリは立ち上がってイオに朝の挨拶をした。

「おはようございます。イオさん、今後もよろしくお願いします」

「それはこちらこそと言ってもいいかな。ところで私は魔法使いだから朝は早いんだ:

彼はそういうと窓辺に近づいて硝子窓までの凹みの部分に手を置いた。それから木の杖を伸ばして「朝を迎えられたことに感謝する」と呟いた。その言葉にイノケとフェンケースがそれぞれ目を覚ました様子で、目をこすりながらベッドから起き上がった。

彼らは立ち上がって、部屋の中心の方に集まった。それから話し合う時間を持つために、部屋の外にまずはシシリが出て、次にイノケ、フェンケースの順に続いた。イオはその姿を小さくしてシシリに着いていた。彼らは女主人のところで手続きを済ませて宿の外に出た。なお金はイオが出していた。

宿の外では人が溢れかえっている様子だった。右から左へと移り進む人たちの足音が響いていて、馬車まで通っていた。シシリは初めて見るような馬の姿を凝視して、通り過ぎるまでの匂いを嗅いでいた。

「イオさん、ひとまずここで生活をするということでよろしいでしょうか?」

「君の目的地まではまだ遠いから、だんだん近づいていくくらいがちょうど良いんじゃないかな? 君の街の人たちとは風合いが異なるだろうから、観察しているだけでも面白いよね。たとえそうじゃなくても、この都市の生き方に合わせて成長するのも悪くはないと思うな」

イオはそう言うと姿を大きくした。街を歩いていた人たちは魔法使いの出現に些か反応を見せたが、すぐに彼らの日常へと戻っていった。シシリはこの都市で生活するための覚悟を決めていたため、拠点となる場所を探すべく歩き出そうと考えていた。

「イオさん、この都市に生きる上で住む場所はどうするべきでしょうか?」

「この都市にはね、色々な部屋があるんだけど、私が住んでいるところも結構多いんだよ。もう長いことここには来ていないから、掃除は人任せなんだけどね」

シシリらは歩き始めていて、イノケやフェンケースは彼らに付き従っていた。彼らの手元にはいまだに淡い色合いの球体を握りしめていて、力をこめずとも離れることはなかった。彼らは市場のあたりまで近づいたところで、多くの商人が商売をしている様を眺めた。

金を持っていたのはイオだけであったから、彼はシシリらに幾らかの銀貨を渡した。彼らに「好きなものを買ってきたら良い」と言って、彼は姿を小さくした。それからシシリの上空に登って、天と地の間を浮遊するようにした。

この都市にはいく文化の魔法使いが存在していたため、空には様々な形の物体が浮かんでいた。彼らは方角を問わずに進んでいて、都市を賑やかに彩っていた。魔法使いらしく箒に乗っているものもあれば、小さな小動物のように姿を変えているものもあった。

シシリは右手には対球を身につけていたが、これは本来は高価なものとして知られていた。外見からは見分けがつかないため、実は偽物も売られている。目利きのできる商人を必要としたのであるが、そのような人々のいる場所は奥まっていて見つかりそうもなかった。

イノケやフェンケースが勝手に市場を散策するのを目の当たりにしながら、シシリは市場の天幕がかかっている影に出たり入ったりを繰り返した。赤い果物であったり、黄色い野菜が売られている様をイオの斜め前方で確認して、座っている商人と話をした。

「この辺でこれだけの銀貨で買うことのできる一番いい品はなんだと思いますか?」

「それを俺の前で聞くかね? 俺の売っているものが一番いいに決まっているだろう。冷やかしはごめんだから、あっちへいってくれ」

その言葉の次にイオが姿を人間に戻して、大男の様相を呈した。彼はシシリに対していた商人を圧倒するような態度をとって、「まあ若いんだから許してくれ」と右手を振らせた。彼はお詫びの印にと商人が売っていた小さな木の実を買ってシシリに渡した。

「あまり気を遣えとは言わないけれど、多少の礼儀は持っていたほうがいいと思うよ。イノケ君とフェンケース君はその辺うまくやってくれているようだから……」

イオがそこまで言うとイノケとフェンケースが市場を行き交う人の間を並んで歩いてきた。その手には袋一杯にした果物を抱えていた。イノケはそのうちの一つをシシリに渡し、「中々いい買い物だったと思うよ」と誇らしげに話した。

「それはそれとしてさ、これだけのものをどこまで運ぶつもりなんだよ」

「それはイオさんの家に持っていくつもりだけど……よろしいでしょうか?」

「ああ、それは全然いいけど、それまでまだ時間は取りたいかな管理人に話をしたいし」

「わかりました」

彼ら三人はそれぞれ木の実や果物の類を手に持って市場を移って、人の集まっている広場の長椅子に座っていった。イオは「ちょっと三人でよろしくね」と言うと木の杖と同一の姿を撮って、二つの螺旋を描きながら物影の散乱する都市の空へと飛んでいった。

14

シシリは風に吹かれながら自分の力を確認していた。彼は魔法の文言を呟いて、光を繰り出した。彼の周りにはあらゆる生命体が集まってきて、彼の光を求めていた。イオはその様子に満足を覚えている様子だったが、イノケとフェンケースは困惑していた。

彼らの中で最も実力があったのは魔法使いであるイオに他ならなかった。それでも彼は自分の実力を明かすことはなく、魔物を討伐するのをシシリに任せていた。これらの存在は現れたり消えたりするため、完全に消滅する可能性は低かった。

実際には魔王にある魔力の根源を絶たなければならなかったから、シシリが勇敢にも魔王を殺すほどの実力を持たなければならない。この世界においては魔法によって秩序が成されている時代がしばらく続いていたから、魔法使いの弟子として立ち向かうことは許されなかった。

「この後どうすれば良いですか?」

「君が思う通りにすればいいと思うよ。魚の力なんて大したことがないから、魔法と呼べるほどの代物でもないんだよ。この辺をうようよしている魔物というのは大概弱すぎる。私にとっては簡単な仕事なんだけど魔王の力を放出する場所は世界のどこかには必要なんだ。だから多少問題になっても放置しているくらいがいいのかな」

魔法使いの言葉にイノケとフェンケースが反応して「本当にそうでしょうか?」と尋ねた。魔物というものは悪しき存在として知られていたから、この世界を魔王が支配する上で重要な課題であった。

彼らはシシリの周辺から離れて彼が黒い影を暴いていく様子を目の当たりにしていた。イノケとフェンケースは右手を伸ばして「力を」「力よ」とそれぞれ呟いたが、わずかに光が臨むだけに終わった。シシリは「このままでは英雄にはなれない」と首を振ってイオの方を見た。

「英雄になりたいなら私のところに長く留まっていてはいけないよ。魔王はそれでも強大な存在だからね、君の実力が及ぶかどうかわからないけれど、時には弱いものが強いものに勝つという物語も悪くはないんじゃないかな? 私は魔王の手下としてしばらく生きてきたから、忠誠心はそれほどなくても感謝するべきところは十分にあるんだよ」

イオはそういうと木の杖を伸ばして、「そろそろ帰ろうか」と言った。彼の言葉に従っていくつかの存在がシシリのものとは別の種類の光に包まれて消えた。彼らは空を再び移動することになって、幾つもの山々を超えていった。その旅路が終了した時、彼らの真下には都市が広がっていた。

「私と君たちは今から、この下の都市に移動しようと思うけど大丈夫かな? 魔王とは全然関係がないけれど、しばらくここで生活しようと思うんだよ。私はどこにいても同じだけど、魔法を使える少年の居場所を作らないといけないからね」

イオはそう言って木の杖を下に向けた。彼らは都市の中の広場に降り立った。それを夜の中で何人かの住民に目撃された。円形の広場を歩いていた人々は彼らに一瞬興味を持った様子だったが、その後は目もくれずに再び自分の道へと戻っていった。

フェンケースは「どこに行けばいいですか?」とイオに尋ねた。彼はその言葉をやや震えるように告げていたが、イノケが「泊まるべき場所に泊めてください」と言ったので、宿に行くことになった。シシリは自分の右手に宿る力を握りしめるように感じていた。

宿に入ると一人の女主人がいて、適当に応対した。シシリはイノケとフェンケースに気を払いながら、自分の名前を名簿に書いた。彼らは部屋に案内されて三人で寝ることになった。イオはというと、自分の姿を小さくしてシシリについていっていた。

シシリはベッドに寝転んで窓の外に浮かんでいる月を眺めた。そして右肩にかかっていたイオに「本当はどれくらいの日が経ったんですか?」と尋ねた。イオは「精々三日くらいかな」と言って、その言葉にイノケとフェンケースがそれぞれ胸を撫で下ろした。

「僕たちは帰る手段を失っているんだと思うんですけど、どうやって生きていくための金を稼げば良いとかありますか? 街に出て人々の依頼を解決するようなことで大丈夫ですか?」

「まあその辺は適当にすればいいよ。まだまだ時間はあるし、多くの人間と会わなければならない。ここでも祭は割合頻繁に行われていると思うから、君たちが学ぶべきことがその辺であるんじゃないかな? 一人の女の子のために生きる英雄の物語を私は眺める程度の話だから」

イオはそういうと妖精のような姿でシシリのベッドの枕の上で横になった。シシリは「そこにいて大丈夫ですか?」と聞いたが特に反応はなかった。イノケとフェンケースは大分眠気に襲われていたようで、すぐにいびきをかいて寝始めた。

ベッドが四つほどあって二段のものが二つになっていた。シシリはイオの邪魔にならないようにと彼のいない二段目に移って、そこで目を瞑った。彼は自分たちが行ってきたことを思い返してなかなか眠りにつくことができなかった。

13

空を飛び続けていた彼らは一度地上に降り立った。シシリは右手に力を込めて光を現した。そこで魚の幻影が現れて、イノケやフェンケースの間を泳ぐようにした。彼らはその様子に感動を覚えたようであったが、それ以外の不安を抱えて強張った。

「実践演習の必要があるから、シシリ君は魔物を殺せるか試してみるといい。空には結構な数の魔王のなんとかいうのがうようよしているから」

イオの言葉に従って、彼は天を見上げるようにした。そこにはコウモリのような姿をした生命体が浮かんでいた。シシリはそれに向かって「光の力によって溶けろ」と言った。すると天に浮かんでいた生命体に向かって彼の対珠から宇宙魚の影が現れて黒い影を飲み込んだ。

このようにして一つの魔物をシシリは殺した。イオは驚いた様子ではなかったが多少の関心を覚えていたようで、イノケやフェンケースもシシリに倣っては自分の球体に言葉をかけていたが、特別反応する様子はなかった。

「これで基本的には大丈夫なんだけど、君はまず都市へ行かなくちゃいけないはずだよね。弟子なんだから独り立ちする必要があるんだけど、まずは私についてくるというのも初めの一歩としては重要だと思うな。だから私の私との関係はしばらく継続してくれるとありがたい」

「わかりました」

シシリはそういうと魔法の文言を続けて口にした。すると彼の周囲には鳥が集まってきた。それから彼は光の力を使ってその鳥を留めるようにした。シシリ以外の少年はこれらのことを全く理解できずにいたが、イオは「そういうことかもね」と呟いた。

すると空の彼方から蛇のような細長い生命体が現れた。いわゆるイオのイオであったから、シシリに求めていた関係が見られた。

イノケは自分の球体を握りしめるようにして、「力を貸してください」と力を込めて口にした。すると彼の手の中の対珠が光り始めてイオのイオに対抗するように眩く輝き始めた。彼は驚いた表情を見せて「フェンケースもやれって」と勢いづけた。

イノケの言葉に倣ってフェンケースが魔法の文言を口にすると、再び対珠が光り始めた。イオはそれらの様子をシシリと共に眺めて満足したような口ぶりで「その調子」と微笑んだ。彼らは学校では学ぶことのなかった力を身につけ始めていた。

光の魚の力を身につけた三人と共にイオは平原へと飛び立った。そこには幾つもの魔物が蠢いていたが、それらをシシリは次々に殺していった。その度に影として飲み込まれた魔物は力を失うたびに金色の物質を落としていた。イノケとフェンケースはそれらを拾って自分のポケットに収めたが、イオは特に咎めることはなかった。

すると狼のような姿をした黒い影が現れて、彼らの前に立ちはだかった。ひどく鼻息を荒くした狼の姿をした生命体は暴れるようにして特にシシリら三人の前に威嚇していた。その様子にフェンケースは特に怯えていた。

「シシリ君、大丈夫? 君はいいけど僕たちはまだ全然弱いよ」

「大丈夫だって、光の力を使えばフェンケースにもできないことはないよ」

シシリはそういうと「魚よ力を貸してください」と口にして右手を伸ばした。彼の手のひらに吸い付くようにしていた対珠は光り始めて、その発光を影の方へと伸ばしていった。イオやイオのイオの面前にあって煌めくように燃えた炎が狼の影を包んでいった。

群れをなしているわけではなかったから、一頭の存在としてそれは平原においてその生涯を潰えた。シシリらはその死骸に集まって、地面に落としていった金色の物質を拾った。改まってイノケはそれをイオに見せて「これはなんというものですか?」と尋ねた。

「さっきから君たちが拾っているものは力の珠になる前のものだよ。魔物との関係は弱まってはいるけれど、十分に魔の影響が強いから気をつけた方がいい。君たちが魔族になることに興味があるなら話は別だけど、そうでもないなら捨てておいた方がいいんじゃないかな? そのうち誰か物好きが回収しにくるのが悔しいかもしれないけれど、私にとっては塵のようなものだから」

「師匠がそういうのであればそうしようと思います」

シシリはそう言ってイノケから物質を奪って地面に捨てた。淡く発光していたものは時間と共にその輝きを失っていって、ついには石のようになった。いわゆる魔石であるが、危険な兆候は見られていなかった。

「そんなことよりさ、君たち家族のことについては心配しないの? 私の時間と君たちの時間は相当違っているから。君たちは行方不明になっているはずなんだよね。ある時光の中に包まれて消えていった少年たち、学校関係者も探してはいるはずだよ」

「僕は行かなければならないところがあると信じているので大丈夫です」

最初にシシリがイオの言葉に応じた。イノケとフェンケースは不安そうな表情を浮かべて互いに見合わせるようにした。それから「大丈夫じゃないかもしれないです」と落ち込むようにした。彼らは右手に持っていた対珠を開いて、「でも俺たちも魔法使いになれるのかな」と呟いた。

12

イオは右の手のひらを三人の方へ向けて「これをあげるよ」と言った。すると表面に小さな球体が三つほど出現して回転し始めた。彼らはその様子を見つめて、「どうするんですか?」と尋ねた。特にシシリは前のめりになってそれを見守っていた。

「簡単だよ。引き寄せればいいんだ」

彼の言葉に応じてシシリは「来い」と言った。すると三つの球体の全てが近づいてきた。そのため、彼は「一つだけで良い」と呟いてそのうちの二つを遠ざけた。彼の球体を操る様子にイノケとフェンケースはそれぞれ関心を覚えている様子だった。

「ところでこれはなんですか?」

シシリの問いにイオは目を見開くように応じた。

「これはね、対珠というものだよ。これを君の体内に取り込むのはまだ早いけれど、それを近くに持っていたら外の魚のどれかと関係を持つことができるんだ。だから魚の力を自分達に貸してもらうことができるっていう理屈なんだけど、魚の力なんて高が知れているよね」

イオの言葉を聞き終える前にシシリは球体のうちの一つを握りしめるようにした。彼が「力を貸してください」と呟くと、その言葉に反応してか、球体は光を帯びて彼の右の手からすり抜けるように発光した。イノケはそれを見て「大丈夫なのか」とシシリに尋ねた。彼は平然と「なんともない」と答えた。

「魚の力だけでも借りられたらさ、魔物くらい一掃できる機会を持てるんだよ。どんなに簡単なことかは今はまだ分からないだろうけれど、これまでとは違う感覚で生きられるんだ。君はもはや宇宙魚としての実力は十分にあるのかな? ただの光だったら意味はないけれどね」

イノケとフェンケースはイオの言葉を黙って聞いていたが、シシリの目線に促されるようにして残り二つの球体を分け合った。彼らはシシリに倣って同じ文言を続けたが球体側の反応は見られなかった。そのためイオは右手を伸ばして「急ぐ必要はないよ」と言った。

「シシリ君はまず魔王のところに行かなくちゃならないんだろうから、時間はかかるけれど魔物を殺すだけの実力をつけてもらわないと困るんだよね。君のところからいなくなった少女の話はお気の毒かもしれないけれど、私にとっては日常茶飯事だから。現れたり消えたりするのが女の子だったりするんだよ」

シシリはイオの顔を見つめるようにして、自分の右の拳を伸ばした。それから「魔法使いであるあなたの弟子になりたいです」と力を込めて口にした。魔法使いはその言葉に反応せず、「イノケ君とフェンケース君はどうかな?」と尋ねた。彼らは「全然無理そうです」と諦めかけている様子だった。

「だから急ぐ必要はない。ただそろそろここにいるのは危険を伴うから、離れないといけない。と言っても君たちのことを快く思わない連中に見つかっているようだから、いつまでも興味を持たれるわけではないけれど、石の塔というのは結構厄介な場面に遭遇するんだよ。さっきみたいに魚を衝突させたりっていうのは、いわゆる壁ドンってやつ」

イオはそこまで言い終わると木の杖を持ち直して彼らへと伸ばした。その口元の動きに応じて細長い生命体となった杖はシシリら三人を包み込むようにして円を描いた。彼らは自分の手元に漠然とした色合いの球体を保ったまま異なる光に覆われていった。

「結構時間の流れが異なるから、君たちが数十分生きていた間に外の世界では数週間が経過していたりするんだよ。時の流れに一々煩わされるようでは魔法使いは失格だからね。気にしても仕方がない。その辺が一番危ないところだったんだけれど、受け入れられない器なら最初から私は求めていないんだよ。要らないものとして魔王の蛇に投げ出すところさ」

魔王はこの世界の一部から全部にかけてを支配したりしなかったりする存在である。それらの勢力が強大な間は世界の至る所で魔法を扱う集団が現れ、彼らのことを魔族と呼ぶ。シシリらは人間であったから、魔族へと至る可能性は低かったもののこの時代においては人間と魔族の格差はそれほど大きいものではなかった。

魔王は幾つかの生物を保有していてそれの複製があちらこちらに出現したり消失したりを繰り返している。魔物とはその類の存在であって、魔王の蛇とはその典型的な具象である。魔王に対応する蛇を殺さない限り魔王の支配は永遠に続いていくと言われていた。

「僕は魔王による支配を終わらせて世界から魔法をなくしたいとも思っています。そうすれば人間は人間として生きていくことができるし、亜人亜人として、獣は獣として自然に暮らせるはずだと信じています」

「魔法使いの前でそういうことを軽々しく言える精神は褒められたものかもしれないな、シシリ君。知っての通り私もそろそろ引き際であるから魔王に多少の借りはあっても君に賛同する部分が全くないわけではないんだよ。私が君たちに渡した対珠の真の威力を分かってはいないかもしれないけれど、小さな宝物くらいは少年のうちから持っていても良いはずだからね」

木の杖であったものを含めて五つの存在は光の中から現れて空に浮かんでいた。彼らは地上を見下ろすようにすると、そこには雲間から山地がのぞいていた。まるで水に浮かぶようにしながら、彼らは幾つもの山を通り過ぎていった。

11

シシリは見回して、この空間に出入り口がないことを気に留めた。彼はイオが話していることから少しばかり気が逸れていた。そのため、イオの手元に戻っていた杖は彼を睨みつけるような表情を浮かべた。それからシシリはおよそ杖に向かって口を開いた。

「出入り口はありますか?」

「そんなことが気になる? あるにはあるけれど、君たちには見つけられないかもしれないね。でもこの石の塔は階層に分かれているから、出たところで上か下に移るだけの場合もあるはずだから、ないと言えばないよ」

答えたのは人間の姿をしたイオであったがシシリはその答えにあまり満足はしていなかった。彼はどこか閉塞感を感じ取っていたから、この空間から脱出する術を探し求めようとした。周りのイノケとフェンケースはそれ以外のことに気を取られていて、協力を得られそうにはなかった。

「イノケはもう大丈夫だよね。僕はそろそろ魔法使いの弟子にならなければならないんだけど、イオさん、そういう話は聞いてくれますか?」

「ちょっとばかり興味はあるから、もう私が師匠みたいなものだよ。君たちまとめて魔女にならないようにしてあげないといけないから、大変だよね。それはそうと私がそうならないかなんて不安がらなくていいよ。魔王との契約があるから魔女になることはない」

「それは本当ですか?」

「魔法使いが嘘をついた場合の懲罰は大分重いから、君たちのために飲む苦杯を覚悟しているという確信が君たち自身にあるなら話はまた変わるけれど、基本的な態度はこんなもんだよ。特に問題という問題はないし、興味があるということも多少だからそれほど関係性が深まる見込みもまだ現段階ではないんだ」

イオはそこまでいうと「外出たい?」と尋ね、三人は同期するように頷いた。彼らはその様子を互いに見合わせるように確認した後、「宇宙魚はまずいって」とイノケが言った。彼の言葉に応じるようにか、窓の外には雲に紛れて巨大な影が映り込んでいた。

「ああ、この魚は大したものじゃないよ。小さくなれと言えばそうなる程度の代物だから、魔法使いになるってどういうことかわかる? 問題を深刻にしたり笑い話に変えたりするほど、言葉に力を持たせるということなんだよ。いちいち自分が喋る単語に集中する必要があるわけではないけれど、ぼやっと口にしたことが勝手に形を持って現実のものに変わる時が来る」

イオはそこまで言うと、木の椅子から離れるようにして右手に握っていた杖を見た。彼は「たとえばさ」と言うと手に持っていたものを力を抜くように落下させた。それが地面に衝突する前にさらに「戻れ」というと杖は宙に止まった。

「『光れ』と言っても光ることはまあないから分別というものは大事なんだよ。結局こういうものは支配者が裏に存在して、この場合は魔王なんだけど、無意識に魔王の許しがなければそれは無効な主張として拒絶される。シシリ君にはどうやら言葉の力を信じる向きがあるようだから、魔王の無意識が反応したのかな現場に渦を生み出すだけの余裕がある」

イオはそう言って「戻れ」と二度目の言葉を繋げた。すると杖は彼の右手におさまった。彼らはその様子を見つめながら特にフェンケースは「魔法……」と呟いた。それから彼は一度座り込むようにして「分からない。分からない」と繰り返した。

「何が分からないのかって、君たちだってこういうことを試したことがあるだろうけど実際に効果を発揮したことはないってことじゃないかな? それはその通りで、魔法を使うために必要な力の珠が足りていないんだよ。これは関係を持たなければならないもので……」

イオがそこまで話した辺りで「ところでここにいて大丈夫でしょうか?」とフェンケースが尋ねた。彼は窓の外に目を一瞬やって、彼らが宇宙魚と呼んだ存在が正面を向いて近づいてくる様子を視界に収めた。彼は「ああ……」と絶望に拉がれたような声を出して震えた。

「全然大丈夫だよ。怖ければ言ってやればいいんだ、あっちへ行ってくれって。ちょうど良い」

するとシシリがフェンケースの視界を遮るように窓の外を見て、「僕がやります」と宣言した。彼は「向きを変えてください」や、「反対側に行ってください」などという言葉を繰り返しかけたが、特別効果はなく宇宙魚は衝突寸前まで近づいた。

「もう駄目だね。こういうのは熱心さが重要とはいうけれど、でも人間と魚とでは全く重いものが違うから、人間の言葉が役に立たないことだってあるんだ……」

イオがそこまで言いかけた時、魚は塔に衝突して大きな地震が内部構造に生じた。中にあった木のテーブルや本棚の類がその揺れでは倒れはしなかったものの、中のものが一瞬飛び出しかけて、また元の位置に追いやられた。イオはその様子を眺めた後「客人だからね」と呟いた。

「君たちも自分の魚を持ってみるというのが一番手っ取り早いんじゃないかとは思うけど、それはまだ全然早いかな。私は私で戦いに出ないといけない時が本来はあるんだけど、時代も時代で、ぬるい刻だからそれも適当にはぐらかせるし、戦利品として得るまでもないんだよ」

10

「君にどのような情熱があろうと私には関係がないのだから、もう少し燃えるようにするべきだよ。今はその意味は分からずとも構わないけれど。まだ若いのだからなにを始めるにしても遅すぎるということも早すぎるということもない。私の名前は確かにイオ。かつては魔王に支えていたけれど、今はもうそういう関係から解放されてね」

イオと名乗った存在は霧を晴らした。そこには背丈の大きい男が黒い衣服に身を包んでいて、曲がりくねった木の杖を握りしめていた。その先の方に「そうだ」という首が取り付けられていたため、シシリは彼らはこの場所へと引き連れた生命体を思い出した。

「魔王のところに行って女の子を取り返すというのは正しいことでしょうか?」

イノケが一歩前に出て尋ねた。彼はやや不安そうな表情を浮かべつつ、両手を擦り合わせるようにしていた。シシリは彼の方を向いた後に「情熱」と言って握り拳をあげた。木の杖を握りしめていた男はそれをイノケとフェンケースの方へと向けて「大丈夫かどうかを判断するのは君たち次第なんだから、私に聞いても仕方がない」と言った。

「とにかく魔法使いの弟子になりたいと願う魔法をちょっと使える少年がいるようだから、案内してあげる場所がないことはないよ。とは言っても広い場所ではないし、ご期待に添えるかも分からない。ちょっとした実験なのだと理解してもらえれば結構さ」

イオという存在はそこまでいうと他の三人に背を向けて「ついてきなさい」と言った。彼らは互いに見合わせるようにした後、イオが歩くのに合わせて並んだ。彼らは四つの塊として月夜の灯りの中を進んでいった。

「シシリ君、私はそろそろ魔法を使って移動しようと思うのだがよいかね」

「大丈夫です」

「それなら構わない。魔王の力によって命じる。塔まで我ら五者を運べ」

イオの声にフェンケースが右手を折るように数えた。彼は最後の五番目を悩んでいたようだが、木の杖が彼を睨みつけるようにしたため拳を作って理解した。シシリらの三人は木の杖から煌めいた光に触れるようにして再びその姿をくらませた。

彼らが次に立ち上がった時にはすでに自然の構造物からは離れていた。彼らは石造りの空間に倒れるようにしていて、初めにフェンケースがそのことに気がついた。イオは木の椅子に腰掛けて彼らを見下ろしていた。

「君は確かフェンケースといったね、記憶が曖昧だけれど確かにそう言っていた。記憶が結合するから思い出すんだよ。この私の私がいるから君たちをしばらくここに放置しても問題はないんだよ。そんなことしたら気が動転してしまうだろうから控えるんだけどね」

シシリはイノケの右手を取って立ち上がらせ、「ここで魔法使いになれるのかな」と呟いた。イノケは「そんなことお前にわかるはずがないけど、でもそう信じるのも正しいと思う」と返した。彼らは自らがいる場所を石の塔であると認識していた。

その壁は円を描くように曲がっていて窓の外には雲が流れていた。シシリは「見ていいですか?」とイオの方に尋ね答えを聞く前に窓辺へと近づいた。そこには鳥の姿は見えなかったが、巨大な魚の影が泳いでいた。窓を隔てていたガラスに手を触れて彼は軽くため息をついた。

「シシリ君、その程度のことに感動を覚えているわけではなかろう。君はもっと偉大な仕事をなさなければならない男なんだから」

イオはそこまでいうと大いに笑った。その笑い声にイノケとフェンケースがやや顔を顰めたが、当の本人であるシシリはほとんど表情を変えずに振り向くばかりだった。彼はイノケとフェンケースを呼び寄せて窓の外の様子を強引に見させた。

「なるほどなあ、宇宙魚というやつだろ? 聞いたことはある」

「魔法でしか来ることのできない空ってやつだな、シシリ君」

それから彼らはイオの方へと向き直して「これから僕たちはどうすれば良いでしょうか?」とシシリが代表して尋ねた。イオは木の杖を放り投げて、それを蛇のようにした。それから蛇をイノケの首の辺りに絡まらせて彼をやや怯えさせた。

「魔法使いになるってことは存在を抹消するということなんだよ。一つ二つ消さなければならないものがある。いいかい。これは分からなければならない。君もシシリ君に協力するものであれば魔法に関する心得は必要だからね、まずは命を手に入れてほしい」

イノケは首元の蛇を引き剥がそうと両手をもがいた。すると蛇の絡まりは強力なものに変わっていって、やがてイノケは青く硬直するほどに苦しんだ。シシリはその様子を眺めながら、「僕に力を与えよ」と口にした。すると蛇は鱗を落としてそこにあったものが羽のように変わった。

イノケは息を吹き返すようにしてその場に座り込んだ。彼は「殺す気ですか」とイオの方に恐怖を向けたが彼は首を振った。それから細長い鳥のようになったもともと蛇であったものを手元に引き寄せてさらにはもともとの杖に戻した。

「だからこれは簡単な実験なんだよ。君が死ぬほど深刻なことではないから安心してほしい。ただこの程度の危機を乗り越えられなければ魔法使いとして生きていくなんて一千年先のおとぎ話だからさ、差し迫った問題を解決するにはまだ実力が不足しているよね」