煌めくように飛んでいた三人は再びその高度を下げていった。イオと呼ばれた魔法使いの使いであるような生命体に導かれるようにして、彼らは雲の間からすり抜けるように旅路を終えた。霧がかかった空が彼らの周りを覆っていて、触れるとその力が弱まった。

「ここがお前たちの望みの場所だ。私が好きなようにはできないから、私のところへとまずは来なければならない。来なければ死ぬよう。死にたくなければ必死になることだ。私は私で嘘をつくことはできないから、こんな形で終わりの時を迎えなければならない。悲しいと言えば悲しいかな」

細長い生命体はそのように言明したのちにシシリ、イノケ、フェンケースを囲っていた覆いとしての役目を終えて再び伸びやかな姿に戻った。幾分かの鳥が取り残された空間にあって、シシリは「ありがとうございました」と生命体に右手を触れた。

イノケとフェンケースは変わらず戦いていたが、生命体が離れたところで辺りを見渡した。空からはすでに離れていたために、地面についてはいたもののそれ以上の情報がおよそ失われていた。彼らは腹這いの様相を呈しながら、「大丈夫か、本当に」などと言い合った。

生命体が空へと消えていくのを見渡しながら、シシリはイノケの方を向いて「それじゃあイオのところに行こうじゃないか」と言った。彼はそれから右手を伸ばしてイノケとフェンケースをそれぞれ立たせた。

「どうせ魔王の支配する地域なんだろう? だからかどうかは知らないけれど、少し寒いな。俺の力が弱まっている気がするよ、シシリ、お前は大丈夫かも知れないが、俺たちはまだ何の証明もないんだから手加減してくれるように頼めよ。命あるだけありがたいけれど、帰れるかどうかもわからない。今のまま全てを続けられるわけじゃないんだから、まずは帰り道を確保するのが先決じゃないかな」

イノケはこういうと霧を手で払うようにした。すると幾分か晴れた様子が見えて月明かりが通った。その様子に安心してか彼は立ち上がっていたのをやめて両足を地面につけるようにして座り込んだ。フェンケースは「何が何だかわからないけれど、そういうことに一々文句をつけているような時代じゃないのかな」と言って立ち尽くしていた。

シシリはイオの居場所を突き止めるべく歩き出した。周囲が崖になっている可能性を考慮してか慎重に動き出した中で「イオさん、いらっしゃいませんか?」とやや大きな声で尋ねた。しかしながら視界が晴れることはなく、イノケとフェンケースだけがその声に反応して「もっと丁寧に尋ねろよ」と返していた。

暗闇と濃霧が月夜を覆い尽くしている中、シシリは再び魔法の文言を口にした。すると彼の周囲に鳥が集まって渦を描いた。その様子を印にしてイノケとフェンケースが集結したのち、鳥を彼らに分配して「これをうまく使えばどうにかなるはずだよ」と呟いた。

「本当にそうだよね」

そこに誰のものでもなかった声が聞かれ、三人は見まわした。すると黒い影が姿を現し、その存在感を増していった。シシリはそれを望み通りの人と認識していたため自分の手元にあった鳥をかき集めて「あなたもお望みですか?」と三羽ほどを差し伸べた。

「そういうことでもあるかも知れない。そういう話じゃなくてね、私の私が望んでいたものどもが君たちらしいから興味を持っているんだよ。もう遠くへ行っちゃったね。それでも構わないから教えて欲しいな。確かに君の力には一見目を引くところがあるようだけれど」

「本当ですか? ありがとうございます。実は僕は魔法使いの弟子になりたくて、魔法のような力が使えればいいなってずっと思っているんです。今はこうやって鳥たちを引きつけることしかできないですけど……」

「それはそうと、君たち私のことを怖いとは思わないのかな。やがて力を失って女のように彷徨う時代が近づいているかもしれない。魔法使いの老後は碌なものではないからね。今はまだ40歳くらいだけど、君たちってそれぐらいまで生きられる自信があるのかな」

「僕は永遠に生きるつもりでいるので大丈夫です」

シシリの返答に魔法使いと思しき存在は大いに笑った。彼はその声を全天に響かせるようにして「それは私たちの望みでもある」と付け加えて、霧の中に消えていった。イノケはシシリの左腕を取るようにして、「下手なこと言うなよ」と忠告した。

「いやいや、今のは上手かったかも。だから大丈夫だよ。ところで君の望みはなにかな? 名前とともに教えてくれるとありがたいけれど、私の名前は私がは言わない。君たちが思う通りの名前を私につけてくれれば良いのだから、魔王の意向もあるからね」

「僕の名前はシシリです。先日星醍祭のために取られた女の子を取り返したくて、それが叶えばあとは結構です。その子のことが好きとか嫌いとかいう次元ではなくって、日常の中の少女が理由はともあれ魔王の方向へといなくなっていく現実を変えたいと思っています。魔法使いの弟子になって街にアニサマを連れて帰りたいです」

彼らの計画に賛同したものがこの場所にいただろうか? 誰も口を開かない状況で夜が深まっていくのをただ待ちぼうけにしていた。ただその場しのぎの行動を非難されるわけでもなく、大きな声で乗り切ろうとしていた男は一歩足を引いた。

すると叫び声があって「私を呼ぶものは誰だ」と聞かれた。この騒ぎに反応して数人が離れていった。シシリはこの状況を期待していたか否かは別にしても、イノケとフェンケースにとっては驚くべき事態であった。

「まさかイオさんですか」

最初に言葉を発したのはまさしくシシリであった。彼は先に声のした方向へと手を伸ばして、その主人を把握しようとした。しかし彼の行動をイノケは咎め、フェンケースはただ後ずさった。他の人々は夜の暗闇の中に消えていって、逃げ惑う音ばかりが残されていた。

「違う! 私はイオのイオである。要は中核部分にあたるのだ」

「どういうことですか?」

シシリが返した言葉に巻き付くように細長い生命体が近寄ってきて、彼の胴体から首にかけて緩く螺旋を描くように蠢いた。彼はその様子を受け入れることが一瞬できずに体をこわばらせたが、すぐにかしこまって「すみません、話を聞かせてください」と応じた。

「この時間に何を叫ぶものがある、お前ではない。何者かはすでに承知ではあるが、あえて聞いている。何を目的にして私を貶めようというのだ。私は私の無意識から出ているものであるので、このような態度をしている。いわばトカゲの尻尾のようなものだから、本人は何も知らない。それでも私はイオのイオと呼ぶべき理由がある」

「シシリ、この方はな、つまり偵察しておられるんだよ。自分の存在がどのように受け取られているのかを確認するために蛇のような竜をこの地に彷徨わせている。そういう話を聞いたことがあるような気がするけれど、本当とは思わなかった」

「本当さ。本当さ。なぜ今になって正体を明らかにしたのかは言えないことはない。君が魔法を使ったからだよ。私の私はそれをつい悔しいと思ってしまった。思ってしまったんだよ。だから君には借りがある。よく聞いてくれたまえ、理解しなくても良い。お前が温存している力を私に近づけることができるのであれば、望みを聞いてやっても良い」

「僕は魔法使いの弟子になりたいんです」

「若者よ、何故にそれを望むのかは今は良い。ただ叶えるための手立てを与えるのは私にとっては悪い話ではない。当然ではないが受け入れてやろう。受け入れて帰ることのないようにしても良い。お前はもはやこれまでの通りには生きられない。私に見出されてしまった。しまった」

初めにイオの名前を呼んだオホニらの集団はすでに姿を消していた。イドもサイもそもそもこの場にはいなかったのにも関わらず、興味を持てなかったはずのフェンケースだけが取り残されていた。それ以外にはイノケが腰を抜かしかけているだけであった。

魔法使いの弟子になりたい。というのは結構なことだ。まず私が連れて行かなければならないものを選べ。一人では厳しい道のりになるだろう。三人しかいないが、三人で十分でもある。足りないものはお前の腹の中の情熱くらいだろう。熱があれば闇夜くらい昼に変えられるのが魔法使いといったものなのだ。お前は弟子に値するほどの金ではないが、銀くらいなら所望しても良い」

「わかりました。まずは銀から始めます。僕はある少女を魔王の方向から取り戻したいんです。それが叶えば他は要りません。強引なすべであるとは思っていますが、それでもよければ僕の話を聞いて欲しいです。先日の祭で取られた少女を取り返すのが目的です」

「まあ良い。まずは名前を明かせ」

「シシリです。こいつらは……」

細長い形状をした生命体に包まれた少年が顔を向けた先には体を低くせざるを得なかった同じく少年二人が硬直していた。シシリは「言えよ」と囁き生命体の絡まるのをやや深くした。蛇のようなと形容された存在はその首のあたりを二つの存在のところへと振り回した。

「俺は……イノケ」「……フェンケースです」

二人の言葉をおさめた生命体はシシリから離れて大きく円を描くように月夜の暗闇の中で三人の周囲を包んでいった。その速度は異様に速いものであって触れれば擦り切れることが予感された。特にイノケはこの状況を恐れているようで「やばい、やばい」と口を動かした。

「魔王デュラの命に連なって、これら三人をイオのところへと運べ。運べ。運べ」

細長い生命体がこのように言葉を重ねると、その音の切れ目のところでそれぞれシシリ、イノケ、フェンケースが住宅街の外れのあたりから消えていった。鳥がバサバサという音を立てながら接近したが、風に流されるような姿勢で斜めに消失した。

やがて光に包まれた空間が現れて、大人のいない場所はその姿をくらませた。住宅街からその様子はよく見えていて、白い発光体が地上に現れるのを目視したのは数人ではなかった。それ以上の異常事態はこの地に見られたことがなかったから、多くの大人が飛び出した。

その中にはイノケやフェンケースの父親が含まれていたが、学校の先生は彼らのことを把握していなかったため、彼らと協力することはなかった。大きな音が鳴り響くのをまた別の問題ごととして対処しようとしたのか、窓が光に溢れるのを感じ取った人々が手を伸ばしていた。

この世界では魔法を実際に目撃したことがあるものはそれほど多くない。魔法は魔法使いが支配するものであるから、彼らの赦しのものでしか確認されないのが普通であった。そのような存在は天才と認識されていたから、魔法が使えると知れたものは街から離れて、魔法を学べる学校のような場所へと連れ込まれるのが筋であった。

シシリが望んでいた環境においては魔法を使えるようになるには十年以上の歳月を必要とするが、それでも天才にかかれば一年もかからずに全てを修了することができる。彼には己の実力に対する過信があったから、このような日々はいくらでも短くすることができると踏んでいた。

最早街に三人の少年は見当たらなかった。イオの名を呼んだオホニらの集団が先生に発見されてのち、夜はただ深まるばかりであった。彼らはシシリらの三人に責任を押し付けるようにして今回の一件がどのように行われたのかを話した。行方不明になった三人の方が心配されていたため、彼らはそれほど責められることはなかった。

光に包まれて消えたのちのシシリらの三人はというと、空にあった。彼らは雲の間を行き来するように滑っていて、そこに何十羽もの鳥が同行していた。

シシリは首を振ってイノケの方を見た。月明かりに照らされて彼はやや青みがかった頬に手を触れて、「俺にはどうしようもない」と呟いた。彼らはその言葉を受け入れて、一旦帰ることにした。それでもシシリばかりは情熱を失っていなかった。

「イノケとフェンケースはどうやって魔女に会えばいいかわかるよな」

「だからそれがわかれば苦労しないって」

「いちいち言うべきでもないかもしれないけど、お前ら危険なこと口走っているんだよ」

魔女とは魔法使いであって魔王に使えるもののことといえばおよそ正確であった。このため彼らは女とは呼ばれているものの、男であっても差し支えはない。彼らの間で語られている魔女という存在はおよそ力のある使い魔のことであった。

「お前の力が及べばさ、シシリ、向こうから接近してくるんじゃないか?」

「修行しろってことかあ、それでも僕は構わないけど急がなくちゃならない」

そう言って彼は再び魔法の文言を口にした。

「力を我が手に込めて、解放する時はまだ早い。鳥よ竜に連なるものをその血族から明かせ」

シシリの周囲に集まっていた鳥は再び彼に渦を描くように接近して、一つの大きな塊のようになった。その様子に息を呑んでいたのはイノケやフェンケースだけではなく、密かについてきていたものも含まれていた。暗闇の中で蠢いているのは一つや二つばかりではなく、幾つもの人影が含まれている。その中で最も大きなものがシシリと鳥の集団であった。

「おいイノケ、誰か見られているようだけど構わないか、お前の友達ではなくて?」

「いや俺はそれは知らないけどな」

イノケとフェンケースの会話の間に鳥を挟んだシシリが通過した。これまでの日常とは異なる様相に感動を覚えていたのは三人ばかりではない。当然のごとくシシリは己の実力に対する自負のようのものがあったので、彼の魔法じみた行為は第三者を呼び寄せていた。

「シシリ君、すごいじゃないか。僕にもその秘技を明かしてくれないかな」

そう言って一人の男が近づいてきた。三人は暗闇の中で振り返ってその声のした方を向くと、学校の同級生と思わしき人物が立っていた。特にシシリは月明かりの中で微笑んで、「構わないよ」と即座に受け入れた。この状況を待ち続けていたと言わんばかりにイノケとフェンケースとを押しのけてもう一人の男の方へとシシリは迫った。

「君、僕のこと知っているようだけど、名前は?」

「俺はユーフタ、君のことはそこそこ有名だからね、何を言っているのかわからないようなやつだって。それは冗談だけどさ、でも本当に何か力があるんじゃないかって踏んでいた俺の正解だったな。もうちょっと鮮やかに登場したかったけど、でも君がそれを望むわけでもない」

「そうだね、協力してくれるんだとありがたいんだけど、都合よくイオのところに行く術なんて知っていたりしない?」

「それがさ、イオと知り合いの動物を世話しているんだよね、偶然にしてはというか、彼は動物好きだから結構な動物と関係が深いって、知らなかったっけ? 人間に懐くような生き物を連れていけばいいんだよ。何処に行けばって、簡単な話。生き物を連れて歩けばいいんだ」

「それはどういうことか教えてもらわないと理解できないかも。鳥で十分だったり?」

シシリはそこまでいって両腕を広げてそこにそれぞれ十羽ずつ鳥を並べるようにした。彼が視線を向けるとそのように鳥を止めることができたので、一つ二つとそれぞれが並んでいった。イノケとフェンケースは彼の周りにあった鳥を掬い取るようにして、自分たちの掌の上に乗せるようにした。

「でもそれは野生の鳥だからね、イオの心配を買わなければいけないから、まずその鳥を大きく育てるっていうのが筋じゃないかな。竜に連なるって知っているよね、君たちも。だから餌のあげ方によっては巨大なものに成長するんだよ」

「ちょっと待ってくれ、それじゃあだいぶ時間食う。僕たちは都市の方に行かなきゃいけないんだよ。魔王の方面に向かわないと目的の女の子と出会える見込みがないんだから、別に好きってわけじゃないから急ぎではないけれど、でも完璧に果たさなければならない理想はあるんだよ」

シシリとユーフタと名乗るものとが話を続けている最中に月明かりの影から数人の男が再び現れて彼らの前に立ちはだかった。それぞれ名乗る分にはオホニとニースと、トミーであった。彼らのうちのニースは武器を持ってきていて、それは剣と斧の中間の代物であった。

それを武器とする分には狩猟のための目的が必要であったが、その頃は季節がずれていた。このためどちらかといえばシシリが集めた鳥を狩り尽くすための道具であったのであるが、彼らの話に引かれて勝手に現れたというのが彼らの主張であった。

その中で最も背丈の大きかったオホニが一歩前に出て、やや熱を持った言葉を発した。

「学校では教えてくれないようなことをさ、目の前で見せられたら、それは惹かれるんだよ。だからイオのところに行こうって? 呼べばいいんだよ。ここでさ。イオー!!!」

イノケが戻ってきて彼ら二人の間に割って入った。彼らの話についていけない様子であったが、そのうち慣れたのか最も口を開くようになった。夜が深まりかける中で、彼は両親から許しを得てシシリの家に泊まることになっているという旨を伝えた。

「それは構わないけれど、今から行かなければいけないってわかるよね」

「俺はそんなつもりではなかったけど、でもその方が面白そうだからいいよな、なあ、イノケ」

「そういうことになるとは思っていなかったんだよ」

三人は立ち止まって夜の中にあった。彼らの中で一人でもこの流れを中断しようとするものがなかったため、一人でも多くの人間に興味を持たれることがないように静かにしていた。特にフェンケースはこの状況に慣れていなかったのか、違和感のある態度をとっていた。

魔法使いの弟子になるっていうのが寸法なんだろ?」

とイノケが言って、シシリに顔を向けた。月明かりの照らす状況においてはその表情の意味するところを判断するのは困難であった。

「そう、イオっていうほぼ魔女みたいなやつのところに行こうと思っているんだよ」

「しっ! 聞かれたらまずいって、魔女の本性を舐めてはいかんよ」

「わかってるけど、でも覚悟はできているんだよ」

シシリはそういうと、右手を伸ばして先ほどと同様の魔法の文言を並べた。すると同じように鳥が集まってきて、彼の周囲に渦巻状の模様を作った。これらの鳥が竜に連なるものであるとはいえ、その賢さに由来するものではなく純粋にシシリの言葉の力によっていた。

「「すげえな、お前って微妙なところだけ本気なんだから」」

二人が口裏を合わせるかのように同じ言葉を並べた。これらの言葉を聞いているものはその場にいた三人以外にいただろうか? ただしこの世界に生息する魔法使いは全ての情報を制するものこそが真に強大であるという主義であったから、物好きな魔法使いには聞かれていたかもしれない。

それ自体がシシリの期待ではあったもののそれ以上の反応は得られなかった。そのためフェンケースとイノケを並べて、それぞれに「お前も魔法を使えるようになれ」と肩を叩いた。そのような言明に意味があったかどうかは、互いに知る由もないが、物語を先へと進める上では重要な発言であったには違いない。

「ところでさシシリ君、アニサマってなんっていう祭のために消えたかって覚えているよな」

「忘れるわけないだろ。星醍祭っていう、でも意味はよくわからない」

「俺もそれは気になっていたけれど、魔法のために飛ばされるってどういう趣味してんだ?」

「それが今この世界を支配している魔王の心だってことなんだよ、イノケ、フェンケース」

魔法使いが世界を収めるようになってからしばらく時が過ぎていた。魔王とはすなわち魔法使いであって王であるもののことである。単純な理屈からは想像がつかないほどに、彼らは複雑な支配構造をなしていた。誰も理解できないようなことに価値を見出す連中であると彼らは理解していた。

「魔法ってそんなにいいものじゃないかもしれないけどなあ」

とイノケは言ってベンチの上に座った。彼はシシリへと顔を向けて笑いそうになるのを抑えた。彼はシシリ程度の実力でどうにかなる世界だとは思っていなかったが、それでも最初の一歩を踏み出す分には十分だと解釈していた。

「使い方によるんだよ、何事も。始まりは良くても中の方が微妙で最後は最悪なんてこともザラにあるんだからさ、最初から最後まで全て良くなるような世界にしたいのが僕なんだって、わからないかな。僕にはそこそこの才能があると思うから、外泊許可くらい簡単に取れるだろうって。これから魔女のところに行こうって話なのに良いとか悪いとかそういう次元で物事を判断している時でないんだよ。うまく行くかどうかの方が重要であって、最終的にそうなればいいようにする」

「それができれば苦労しないよな。でも学校の皆んなには言わなくてもいいのか?」

「先生が認めてくれる内容ではないから仕方ないよ。確かにそれは力かもしれないけれど、何の役に立つのかで言えば評価項目から外れてますね。って言われるのが筋書きじゃないか? 適当な言葉を並べるようで申し訳ないけど、でもそんなもんだよ」

イノケとフェンケースはそれぞれ「力を」「力よ」などと言い合って目の前に事件を引き起こそうとしたがうまく行かなかった。その様子にシシリは若干の満足を覚えながら、「これから僕が教えてあげるから、上手く行ったやつから順に僕の鳥を授けるよ」と口ずさんだ。

「でもさシシリ君、君の鳥なんてこの世界のどこにもいないんだぜ」

「そんなのわかりきっているけどいいんだよ、ささ、これから魔女のところに行かなくちゃ」

「親の言うことなんて親でも子供の頃に聞いた適当なことを未だに信じている程度のものなんだろうからさ、時には規則を破ることも大切なんだよ。彼らだって破られるのと怒るのとを待っているんだから。ところで魔女の家までは誰が案内するんだよ」

三人はそれぞれの居場所へと戻ることができずに、自分の主張を並べようとした。したがってこの場で一番強者であったシシリの意見が採用されることになる。イノケは彼らにとってただ止めることしかできない男であるから、進むべき時を知らない。

「それで都市へ行くのは今夜からの方がいいけど、家族の許しって得られないよなお前たち」

シシリはそう言って、イノケの肩に手を置いた。彼の周りにはもはや人影はほとんどなく三人ばかりの空間が広がっていた。フェンケースはやや気まずそうに立ち尽くしていたが、イノケが困惑している様子に合わせてやや後退りをした。

「俺はこのまま帰ってもいいんだけど、でもシシリの言葉にも乗りたいと思っている。どれだけの時間がかかるかはわからないけれど、それでも君にはやり遂げるだけの価値を覚えているんだろう?」

「そうだよ。時間なんて問題ではないから、今夜にでも決行できる」

シシリはそう言って、魔法を使うための準備を始めようとした。周りの二人はそれを止めようとしたが、聞き分けのいい男ではなかったからシシリは己の行動をそのまま続けようとした。当然彼に魔法など使えるはずもなく、知られている魔法使いに弟子入りするあてもない。

「今ここに力を注ぎたまえ、竜よ鳥となって我が手元に現れよ」

「魔法の文言ってそんなもんだっけ?」

「全然違うと思うけどでも何も言わないよりはマシなんじゃないかな、シシリが思う通りにやってみればそのうち何か良い方向に進まないとも言い切れない」

ただしシシリの言葉に従ったのは鳥だけであった。それでも彼の周りには多くの鳥が集まって渋滞を引き起こした。その様子に驚いたのはイノケやフェンケースばかりではなく、学校帰りの友人や大人たちの注意の目を引いた。これは純粋にシシリの力とは言い切れなかったが、それでもイノケやフェンケースの気持ちを変えるだけの力があった。

「お前案外すごいんだな、俺は見直そうかどうか迷っているんだけど。フェンケースはどう? これができる男なら大道芸の周りで飯を食うだけなら難しい話ではないんじゃないかな? 学校なんて行っても行かなくてもいい頃合いなんだから、休みをとって旅するってのも中々面白いな。なんて適当なこと思い浮かんだからベラベラ喋ってしまうくらいにはさ、中々のことやっているよ」

「俺も心動かされそうなんだけど、でもまだ確信を持てないなあ。確かに君の変な自信というのもこれだけの力があるんだったら見込みが全くないわけではないし、機会があるなら挑戦するのも年齢が許しているだろう。だからまだまだこれからの少年の可能性に乾杯できるってのが君たちの上手いところだよな」

シシリは右手に乗せていた鳥をフェンケースの手元に近づけてその上に乗せた。特にこの場で拒むものなどいなかったから、順調にことは進んでいた。彼らは自分たちの両親を説得しにこの場を離れることにして、シシリだけが取り残された。

その間月が上り始めている頃合いであったから、石の上に座ったシシリは残された鳥たちと戯れていた。やがてフェンケースが戻ってきて「しばらく休みをとってお前に協力したい」と言った。シシリは立ち上がって彼と握手を交わした。

イノケはその後しばらく戻ってこなかったためシシリはフェンケースと共に夜の街を歩くことにした。少しばかりイノケと連携が取れなかったところで切れる程度の縁ではない。このため彼はアニサマ奪還にかける情熱をフェンケースに伝えた。

フェンケースはそれを聞いて心動かされたのか、それまでよりも前のめりになってシシリの話に耳を傾けた。彼らは二人だけの月明かりを探し求めながら、イノケの帰ってくるのを忘れかけていた。それでも再び魔法の言葉を使うための準備がシシリには十分にできていた。

「さっきの言葉なんだっけ? でも君も凄いじゃないか。程度の差はあるけれどそれでも魔法使いを目指すには十分な力の持ち主なんじゃないかな」

フェンケースの言葉は魔法使いになるための才能とは力ある言語であることを意図していた。彼らのうちそれを成し遂げるものなどいなかった。フェンケースの他のイドやサイなどは当然魔法に対する憧れを少しばかり抱いていたが、それを実現するための方法は持ち合わせていない。

「シシリ君は魔法使いで言えば誰についていきたいとかある?」

「僕にはそういう憧れはないかな。それでも一番近いところにイオっていう魔法使いがいるはずだろう。そろそろ魔女になるんじゃないかって言われている、男だけど、でもそんなの関係ないのが恐ろしいところなんだけど、危ないうちなら話を聞いてもらえるんじゃないかな」

「それは本当にやめた方がいいと思うけど、夜の気持ちのうちの問題ではなくってさ、冷静になればわかると思うけどまず都市に行くって話だったはずだから、基本は守った方が良いよ。弟子入りするのはまだまだこれからの話なんだから継承なんて問題にするのは早いって」

この世界には伝説と呼ばれるような魔法使いが何人か生存していた。彼らは己の力によってその名を知らしめている珍しい存在であった。このような人々に弟子入りすることによって、人は再び魔法を後世へと伝えていた。

学校は魔法とはおよそ無縁の空間であったから、イノケが連れてきた友達というものはシシリにとっては役に立つ存在とは言えなかった。それぞれ名前を挙げるとすれば、イド、サイ、フェンケースというものである。

特に最後のフェンケースという少年はシシリについて興味を持っていなかったから、イノケが熱心に誘うのでこの場に来ているだけの場違いな男であった。住宅街が密集しているため、どこを通っても人だかりができているのはこの時間帯の常であり、その中の一人として声をかけられていた。

「それでシシリ君はどうするんだ? 俺の名前知ってるか? イドだよ。イド」

「それくらい、知っているよ。ところで何をしにきたんだ」

「俺らイノケに呼ばれただけだからよくわからないけど、少女のために生きる少年の物語を見届けに来たんだよ」

冗談めかしく口にしたのはフェンケースであった。察知が早いのは偶然ではなくイノケから大方の話を聞いていただけのことである。それ以上の言葉が続かなくなったため、彼は一歩前に出ていたのを引き下がって、再び三人の中へと戻った。

「僕はこれから出かけなきゃならないんだけど、魔法を使いたいと思っていて、どうすることもできないのかなって不安な気持ちなんだ。聞いているかどうかは知らないけれど、全てをよくする方法があるのならばそれを選ばないのは間違いだと僕は思うんだよね」

シシリと共にあった鳥は彼から離れていった。シシリはそれを見届けると、三人のイノケ以外の少年の方へと歩いていって、「お前らも協力してくれるんだよな」とそれぞれの肩に手を置いた。当然彼らの反応は芳しいものではなく、「お前の言っていることはよくわからん」と適当にあしらわれた。

「せめて魔法を使うための道具ぐらい用意してくれてもいいのになあ」

とシシリはつぶやいた。意味のない御託ではあったが、三人の興味を遠ざけるには十分な言葉であった。彼らは「そろそろ行こうぜ」などと言ってイノケに別れの挨拶をした。イノケはシシリへと近づいて「止めようと思ったんだけどな」とうすら笑いをした。

魔法使いの弟子になればいいんじゃないか?」

イノケはそういうとシシリから離れていった。彼らの会話はここで一旦終了したのであるが、シシリはイノケを追いかけて「何をしに来たんだよ」と尋ねた。彼らの周囲には人だかりができていたため、学校帰りの子供達の間をすり抜けるようにしてイノケは進んでいた。

「だからお前にはさっきの三人の心を惹きつけることもできないんだから、英雄になれないって分かりきった話じゃないかって言いたかったんだよ。そんな野暮なことをいちいち表現するのが面倒くさかったから後にしたけれど、お前だって分かりきったことじゃないか。一々救える人間と救えない人間を選別している余裕なんてないんだから、アニサマを連れ戻すこととさっきの三人のうちのイドあたりでも引き留めることはどっちが難しいと思う? 難しいことを積み重ねていった先に成功は待ち望んでいるんだから、まず自分が何をするべきかを把握していない男は永遠に少年のままなんだよ。それで良いかもしれないと思っていても、少年は少年の殻の中に閉じこもっているんだから、少女の少女とは一生交わらないかもしれない。どういう意味で言っているのかは別にしてもさ、自分が何もできない人間であることくらい分かれよ」

イノケの言葉が終わるまでにそれまでの三人の中で唯一フェンケースだけが戻っていた。彼はイノケの語るところに合わせて頷きを入れて、「シシリ君もそろそろ大人になるべきなんだよ」と分かったような口を聞いた。

シシリは自分が魔法使いにならなければならないという気持ちを抱いていて、これから都市に行くつもりであった。街を離れて一人生きなければならない覚悟を抱いている中で、彼に特殊な力があるとすれば鳥を惹きつけることくらいだった。イノケの言葉に耳を傾けているか否かを判断させる前に彼は、右手を伸ばしてフェンケースの左の腕をとった。

「お前も一緒に来いよ。戻ってきたんなら興味あるってことだろ? 僕がやるべきことをお前がやるとは限らないけれどそれでも一緒にいたらどうにかなるだろうって、イノケに呼ばれた縁があるから十分だよな。イノケだって僕の仲間みたいなものじゃないか」

彼ら三人は一ヶ所に集まってシシリがすぐに些かの沈黙を破るための言葉を並べ始めた。その言葉に動かされたのかは別にしてもフェンケースだけはシシリに心を留めていた。理由を明らかにしないまま会話は続けられてイノケと共に歩き出した。彼らは学校近くの広場に集まり直して、今後のことについて話し合うことにしていた。

「だからシシリ、お前は可能性しかない男なんだから実現できることは全部が全部限られているんだよ」

それらの言葉を全て無視してシシリは自分の居場所へと帰っていった。イノケはその跡をついて、彼に一言声をかけようと試みたが、シシリはほとんど放心状態であった。これ以上何も考えたくないと首を振っているようにイノケは受け取っていた。

実情は違っていてシシリは実際には自分が全て解決できるという確信を持ち始めていた。今後の計画を立てるに従って、自分が英雄になってアニサマを取り戻す覚悟を決めていた。その武者ぶるいよって体が震えているだけであった。

柱に手を触れた少年に鳥が近づいてきて、彼の口元に触れた。これはシシリの食べ残しを求めていて、成功した試しはほとんどなかった。竜になりぞこなったと言われる鳥たちの計略が失敗に終わった頃、アニサマの父親が農作業から戻ってきた。彼らは言葉を交わすことなく、それぞれの場所へと戻った。

「シシリ、話があるんだが聞けよ」

ようやく話しかけたイノケに少年は振り返り、自分のするべきことを思い返していた。手元には幾分かの鳥が残されていたため、彼らはそれを解放してアニサマの家に入った。彼らとは関係ない父親はその行為を受け入れていて、「これからもよろしくな」と力を抜いて語った。

どこからともなく現れてきたイノケに対してシシリは「何してんだ」とだけ言葉にして、それ以上は語ろうとはしなかった。それでもお互いがソファの上に座りながら見合わせて、時々視線をアニサマの父親の方へと送った。

その度やや気まずいとも言える沈黙が流れていった。二人以上の人間を受け付けていない空間のように思われていて、誰かしらが抜ける時を待っていた。その内アニサマの父親が脱落したたため、少年二人になった。彼らはまだ学校のことを話題にする余裕などあっただろうか?

「僕はさ、これから出かけなきゃいけないんだよ。アニサマのために勝ち続けなきゃいけない」

「どういう風の吹き回しかは知らないけど、その心がけはお前らしいよな。いつまでもそんなこと言っている場合ではなくて、戦いには戦いに備えた人たちがいることを知るべきだよ。お前はいつも自分が動けばどうにかなると思い込んでいる節があるようだけど、それはまた別の物語として持っておくべきだよな。それこそ夢の中にでも見ることができれば十分幸せだろうし、それを正しいと認める人間が一人もいなくても満足に生きられるんだから」

「そんなことはないよ、僕は自分が壊れるまで全て成し遂げるつもりだから。壊れて動けなくなった時が最後なんだって、幸せになんかなれなくったっていいんだよ。それが僕にとっての幸せなんだから、人間誰しもが思うことが全て叶えるべきことではないんだ。アニサマは別に死んだわけではないんだから、これから再会する筋書きだって考える余地はあるだろうし」

二人はそれ以上の会話を止めてそれぞれ俯くようにした。アニサマの父親はそのうち戻ってきて、「どうするべきだと思います?」とイノケが聞くと「成り行きに任せるしかないよ。娘は娘で幸運であると自分は思うけどな」と返した。

シシリは立ち上がって、窓辺へと接近した。再びそこには鳥が飛んでいく様子が映っていた。彼はそれを見上げながら「僕が行くべきなんだよ」と呟いた。その言葉を聞いていた二人の男は顔をあげて、「それなら応援しなくちゃいけないか?」と父親の方が先に短い沈黙を破った。

アニサマの父親はシシリを祝福して言った。「シシリ君の道程に難がないことを祈るよ。自分が止めるべきことではないからね、アニサマのことを思ってくれているんだろう? それで君が受け入れるべき生き方を君がするというのが理想だからね。それは自分にとってもそうなんだよ」

彼ら二人の男はその場を離れることにして、シシリはただ一人残された。彼はこの場所で生きることをやめた少年である。最早誰の力を借りることなく生きなければならない。そのために、まず食料を集める必要があった。イノケは彼を背後から責めるようにしていたが、その内静かになった。

冒険者になるようなものだから」

シシリはただそれだけを言い残して、アニサマの家を後にした。彼は暗闇の中を歩きながら口笛を吹いて鳥を呼び寄せた。その音に反応した二、三羽が彼に近づいてその頭や肩に止まった。彼はそれを自分の手の上に載せ替えて、「これから協力してくれないか」と呟いた。

当然鳥に人間の言葉を理解できるというのは早計であったが、それでも「チュンチュン」と頷く様子にシシリは満足していた。彼は例の父親のもとに戻る気はなく、そもそも仲が良いわけでもない。だから今後の予定など初めから全く決まっていなかった。

「僕に魔法が使えればよかったんだけどな」

シシリはまた独言を口にして辺りを見渡した。そこには家々が立ち並んでいて住宅街の様相を呈していた。彼自身はいまだに孤独というわけではなかったが、それでも向上心のない人々の中にあって返す言葉をいつも見失っていた。その中で特別な存在とも言えるイノケは彼の友達を数人連れてシシリの元へと再び近づいていった。